森鴎外記念館 千駄木 夏目漱石 谷根千 “寄り道” 文学散歩

森鴎外記念館 千駄木 夏目漱石 谷根千 “寄り道” 文学散歩
{56C985EC-0EAA-4420-B296-72244AD19E5B:01}
カフェの帰りにたまたま通りかかったので入ってみました。
{31189209-B3E5-4058-A305-B22D17B1E5AE:01}
{AA2FABC7-381D-4771-A7AD-92F04741A03A:01}
{8F54D825-D877-42DA-909A-DBFE21517E83:01}
入館料500円で見応えたっぷりでした。
森鴎外の子供や孫は名前が外国人みたいでした。
今で言う、キラキラネームの先駆者ですね。
茉莉 まり  富 とむ 不律 ふりつ
じゃっく とかもいました。もちろん漢字です。ドイツに留学したので、その影響でしょう。
{3AAB0E76-8675-43F8-9601-F84DB0A13700:01}
近くに夏目漱石の旧居跡が。
{05CF24CF-2F79-4766-B9EF-4F5945BF325D:01}
吾輩は猫である。
{16238446-013A-41D2-8342-E25A3716E133:01}
{E973F889-2EDB-4B29-B62D-4BF12CD7A94E:01}
{D6F244FA-D89A-4557-86A3-A7EEBB458F29:01}
漱石と鴎外は交流がありました。
漱石が鴎外の作品を褒めたら、大兄である正岡子規に怒られて謝ったってエピソードが笑えました。
鴎外が開催していた木曜会には、芥川龍之介も参加していました。
Advertisement
樋口一葉とも交流があり、彼女の作品を評価していましたが、一葉は結核で24歳の若さで亡くなってしまいました。
一葉は14歳の時に父が亡くなり、母と妹との家計を支えていたのだそうです。
樋口一葉といえば、5,000円札ですよね。漱石は旧1,000円札。今は野口英世。
{8A5DD28C-6FE1-4B76-8FC8-FDFF9370DDAB:01}
鴎外は  赤松登志子  との初婚を息子が生まれたばかりなのに、一年足らずで離婚しました。
何故かはWikiを見たら分かりました。結核で亡くなっていたようです。
何故か説明がなかったので、仲違いかと思ってしまいました。
{322095F1-E67D-45DD-B51F-F52D3DC8392A:01}
その後、美術品のようだと語るほど美人な18歳年下の奥さん  荒木志げ  を娶ります。
確かに前妻より美人でした。
{785404FB-A8BE-44ED-B785-0832B227B54D:01}
志げとの間に何人か子供をもうけますが、鴎外にとって次男である不律は生後5ヶ月程で亡くなってしまいます。
{D37714C6-B0FA-422C-9ACB-3760C4090814:01}
長女の森茉莉は後に父の血を引き、小説家になりました。
鴎外は自身の墓に本名である  森林太郎  と刻まれることを願い、それ以外の文字は入れるなという遺言を残しました。
60歳の生涯でした。
{5462E624-1DCF-4812-8A16-39B03369BA24:01}
ホッとチョコレートとアフォガート
{2C0BD16A-5E90-4D0A-B7A3-465907DE08DB:01}
全然欲しくもなんともなかったんですが、読みなさい、と母が音速で買いました。
雁(がん)
かり?と母は読み、なんかきよしの歌であったよなぁ。と思い出せないでいたんですが、
歩いていたら  渡る雁~♪  て流れてきて、かりがねだ!と思い出せました。
カモ科の鳥ですね。
{1CD8F59E-272B-4EC3-88CB-2351DC38412C:01}
牛乳プリンはたまに食べたくなる。
母に買ってあげました。
一緒にカラオケ行きました。母は十八番である  真赤な太陽  の他、ペギー葉山さんの学生時代 とか、タイガースとか加山雄三さんの何かを歌ってました。すべてPV付きでした。
母は歌が上手いです。
さすらい慕情をワンコーラス一緒に歌いました。突然マイクを持って一緒に歌い始めたんですが、歌えたことに驚きです。


Advertisement

Advertisement


展覧会/ストアカテゴリの最新記事