漫画家 楳図かずお「サバラ!お別れの会」参列 感想レポ in 吉祥寺 エクセルホテル東急です。
楳図先生のお別れの会に行ってきました。
発表時から行くと決めていて、この日のために新しくワンピースも購入しました。
大急ぎで支度して行ったものの、遅れて18時半頃に着きましたが、長蛇の列でした。
概要
開催日 2025年5月28日(水)
会場 吉祥寺 エクセルホテル東急 8階
一般参列者の時間
17:00〜20:00(最終入場19:30)
服装 平服
献花のみ
芸能界の主な参列者
敬称略
ちばてつや
荒俣宏
稲川淳二
江口寿史
山咲トオル
ASKA
久住昌之
荒木飛呂彦
中川翔子
里中満智子
伊藤潤二
高橋のぼる
代表弔辞
里中満智子
伊藤潤二
高橋のぼる
中川翔子
会場での流れ
18時半頃、ホテルの前に到着したところ、物凄い長蛇の列で、ぐるっと回り込んで並びました。
このオムニ食堂というところまで列が伸びてました。
18:30 到着、列に並ぶ
19:20 ホテル内へ 7階で映像を見る
19:40 8階へ移動し、待機
19:50 会場内へ 献花、展示を見る
20:00 帰宅
こんな感じでした。20時終了なのでギリギリでしたね。ですがまだ大勢のファンが会場内でじっくり展示を見られてましたし、ホテルを出た際にもまだホテルの入り口外まで列が出来ていたので、実際には21時くらいまでかかったのではないでしょうか。
→今確認しましたら、公式Xが21:35に閉場しましたとポストしていましたので、21時超えてたんですね。スタッフの皆様、参列者の皆様、お疲れ様でした。最後には会場で拍手が起こったそうです。
献花台
会場では映像が流れていて、楳図先生に関する様々な展示がありました。映像以外は撮影可でした。
赤と白のカーネーション。みよくは赤を手渡されました。
楳図先生はお母様に思い入れがあったように思いますので、母の日を思わせるカーネーションはぴったりに思います。
映画『MOTHER』は片岡愛之助が主演だったんですね。愛之助好きなので見てみたいです。
良いお写真ですね。皆さん写真バシバシ撮ってました。親子連れの人も何人かいて、遺影との記念撮影頼まれました。
ベビーカーで来ている人もいて、おばあちゃんらしき人もいたので、家族みんなで来たんだなと思いました。小さい子が楳図Tシャツ着てて似合ってました。
会場の人たちは、赤と白の楳図Tシャツの人、キャラクターのTシャツ、刺繍のスカジャンを着ている人など様々で、楳図Tシャツ以外は、全体に黒っぽい服を着ていた人が多かったです。
2016年に楳図先生のイベントへ行った際に可愛いTシャツがあって買わなかったのですが、本当に買っておけば良かったです。ユニクロとの自作Tシャツコラボもやりたかったです〜。
→いま吉祥寺のユニクロで作れるそうです!ちょっくら作りに行ってきます。
それはそれとして、私が見た女の子がタバコ吸ってる柄のやつ、また再販してくれないですかね。探してみたのですが全然見つからないです。会場でも着ている人見かけませんでしたね。
ちょうどこれからの季節にいいですよね、Tシャツ。外着用のお洒落なの欲しいです。
楳図先生のご自宅にあった私物の数々が展示されておりました。人混みがすごくて後ろから撮影したので、人の手とか頭とか入っちゃいました。
作業机。コピックが大量にありますね。墨汁もある。
横から。
これ好きです。一年中飾っているクリスマスツリー。ねがいのリア充大嫌いサンタ思い出します(笑)
このクリスマスツリー見た時に、なんだか凄く嬉しくなっちゃいました。クリスマスツリーって一年中飾っていいんだなとか、楳図先生らしいとか、分かる!!と思ったり。
みよくもクリスマスツリー大好きなので、純粋にいいなこれって思いました。
70年間の軌跡。
わたしは真悟の表紙絵のなんとも言えない空気感大好きです。静けさがある。
楳図かずお大美術展。行きましたね〜。もう3年前ですか。圧巻でしたね。ど迫力の絵の数々。
この年齢でこんな迫力の絵が描けるのかと。
楳図先生の絵って静と動の差がすごいんですよね。大体普通は、派手なら派手、クラシックならクラシックな雰囲気の絵になると思うのですが。
カラーだけじゃなくて、漫画のモノクロにおいても、動の時の迫力が尋常じゃないです。なのに、恐ろしくなるような静けさも表現できるというところが天才だと思います。
わたしは真悟の中で言えば、東京タワーに登ったサトルとマリンの様子とか。あれ絵なのに怖い!落ちちゃう!落ちちゃう!となりましたからね。
絵の描き込みがすごいというのはあると思います。弔辞で伊藤潤二先生も言ってましたが。影とかすごい描き込まれてますもんね。圧があります。
まことちゃん。いつかは読みたい。アニメ映画も見たいですね。アマプラに有料でありますが、サムネの配色が堪らないですね。空が赤黒い。
愛用の普段着。普段着!?イベントの時もこの格好でしたね。もちろん帽子付きです。
そういえば当時、ブロガーさんがコメントでいつもこの格好で、吉祥寺のマルイ側のマックにいますよ〜と教えてくださったのでした。マルイ側ということは、吉祥寺南口店ですね。
お願いすると快く一緒に写真も撮ってくださったのだとか。こんな貴重情報を聞いていながら、吉祥寺のマックに一度も行かなかった私よ(汗)
左上にマックの看板ありますが、楳図先生の赤とよく合います。この格好の楳図先生にマックで遭遇したらビクッ!!となっちゃいます(笑)
年表が、楳図先生の人生に思いを馳せてグッと来ました。じっくり見ました。
3人姉弟だったんですね。てっきり一人っ子かと思ってました。
国民学校、玉音放送。
14歳で手塚先生から「天才が現れた」と言われるの強いです。しかも直に作品を郵送したんですね。
上京していきなり池袋。強い。
劇団ひまわりに入ってたんですね。この頃からあったんですね劇団ひまわり。
映画のエキストラやってたんですね。会場の映像でV系っぽい格好をしてた写真も見ましたし、歌も歌っていましたし、里中満智子先生も言ってましたが、かなり多才ですね。若い頃のV系写真かっこよかったです。
みよくが大好きなまことちゃんの歌も作詞作曲してますからね。天才です。闇のアルバム聴いてみたいです。
郷ひろみの「寒い夜明け」を作詞し、ゴールデン作詞大賞も取られてました。読んでみましたら、素晴らしい世界観の歌詞でした。
お父様が亡くなられた際のエピソード切ないです。
アラフォーからの怒涛の作品制作がすごいです。洗礼は少女コミック連載だったんですね。
外国語の勉強を51歳から始められてすごいです。81歳になったら歴30年になりますもんね。全然遅くないですね。
手塚先生への追悼メッセージ。熱いです。もしも手塚先生が楳図先生にメッセージを送るとしたらどんなだっただろうと思いました。手塚先生は60歳で亡くなってしまい、あまりにも早かったですね。三浦建太郎先生なんか54歳で。多田かおる先生は38歳。
楳図先生があまりにお元気だったので、もっともっと長生きされると思っていましたが、88歳まで元気に自分の足で歩き、しっかりした頭で生きたということは当たり前のことではなくすごいことなんだなと思いました。
しかも101点もの絵画で新作を作り上げ、展示会まで開きました。本当に本当にすごいことだったと思います。
そしてそれを見に行けたことは幸せなことでした。2016年にイベントでお会いできたことも宝物です。
今でも「kazz〜!!」と呼んだら、元気に笑顔で駆けてくる姿が浮かびます。あの当時で既に80歳でしたので、80歳ってこんな元気なの!?と驚きましたよ。
腰に両手を当てて、ちょっと背伸びをして、うんって笑顔で頷く姿が可愛かったです〜。本当に少年のようでした。思えばいつも笑顔だったなと思います。
59歳から吉祥寺に住まれてたんですね。
お母様は91歳で。長生きされましたね。
推しの名前出てきました。ロングラブレターで窪塚洋介のこと好きになったと思います。楳図先生の漂流教室が元とは全然知りませんでした。かなり衝撃的なドラマで、ラストシーンもよく覚えてます。
晩年の怒涛の賞祭り。すごいです。
ごあいさつ。読みづらいですよね。公式Xでも画像が流されておりましたので、そちらでぜひお読みください。
脳梗塞に癌。大変な状況にも関わらず、新作に意欲があったと。毎日絵を描いて。手塚先生への追悼で、「その強靭なる意志を引き継いでいきたい」と語っておられましたが、まさに体現されました。手塚先生と同じです。
手塚先生も最期まで創作されておりました。しかも、何の因果か、胃がんだったことまで一緒です。手塚先生の最期の言葉が「仕事をさせてくれ!」だったそうで、まだまだきっと描きたいことがあり、無念だったと思います。楳図先生ももっと描きたかったんだろうなと思います。
楳図先生は手塚先生のコピーにならないよう、敢えて離れられ、手塚先生の作品は子供の頃に読んだきりなのだそうです。
そこがまたすごいです。普通、衝撃を受けた人の作品って全作品読みそうなものじゃないですか。
それをしないで、自らのオリジナルを追い求めていく。そこが楳図先生が天才たる所以なんだろうと思いました。
そして、後期高齢者(75歳以上)の年齢で、4年かけて101点の絵画を描き上げた。しかもそれが全て圧巻の仕上がり。胸打たれました。本当に感動したんです。
絵画を見て、圧倒されるって実はあまりなかったんですよ。西洋絵画を見るのも好きで、美術館にはよく行っていましたが。
大美術展で見た楳図先生の絵には圧倒されて、こんな体験が出来るんだと思ったんです。
当時の感想記事を読み返してみたら、何だかあっさりした書き方で、全然感動が伝わらないと思いますが(笑)
読んで感動した展示会についての外部記事のリンクが切れてて悲しかったです。また読みたかった(涙)
出口
名残惜しかったですが、退場しました。
弔辞
コミックナタリーさんが代表の方々の弔辞について動画と共にアップされてましたので見ました。
もう、涙が止まらなくて。特にしょこたんの弔辞のところで。
前にもどこかで聞いたのですが、「頑張って描いても誰にも褒められない。でもフランスが賞をくれて、また描こうと思った。」というエピソード。これ悲しくなっちゃいます。こんなにたくさんファンがいるのに、それでも楳図先生にとっては孤独だったんだなと。
でも何となく分かります。アーティストってどれだけファンがいても、親しい人がいても、たぶんずっとどこか孤独なんだろうなと思います。自分にしか見えない、わからない世界があるというか。ずっと挑戦と闘いなんだろうなと。
それと浅草花やしきでのデート企画で、休憩時間に絵に描いたグワシを投げっこするという謎遊びエピソード。
「グワシの手を投げっこしよう」って最高すぎじゃないですか。特にルールも勝ち負けもなかったようで。分からない。分からなくて最高。私その遊び提案されたらめちゃめちゃテンション上がりますね。
そういうエピソードもすごい聞いてて泣けてきました。そういう人だったというのが、よく伝わるからです。書いてても泣けてくる。
人混み過ぎてよく見えなかったのですが、お別れの会の記事の写真見たら、それらしきグワシの手がカゴの中に入ってました。思ったよりデカい(笑)
そういうよく分からない遊びっていいですよね。みよくが子供の頃やってたので覚えてるのは、ブタちゃんの蚊取り線香みたいなガラスの置物がありまして、その中にカラフルなプラスチックのストーンを入れてシャッフルするんですね。それで、出たもので天気占いとかしてました。明日は雨!とか。たぶん水色の石が出たらかな。
その様子を家族に見られてまして、「いつも一人で喋ってるよね」というようなグサっと来ることを言われたような記憶があります(笑)
ぶつぶつなんか喋りながら占ってたんでしょうね。あのブタちゃんの置物、気に入ってたのにどっか行っちゃいました。口のところが大きなコルクになってて、フタが出来るのですよ。きゅぽっと外したりつけたりしてましたね。懐かしい。
しょこたんだけでなく、それぞれの先生のエピソードがどれもジーンとしました。
アシスタントをしていた高橋のぼる先生が言っていた、楳図先生はトレースを決してしないというエピソードも衝撃的でした。
テレビでシェフが映ると、どんな帽子を被っているのか、しっかり見て記憶しておくようにと言われたこともあるそうです。
浦沢直樹先生の漫勉でも、「いいからとにかく見て描く」という話をしていたような。止まってるものをじっくり見て描くのではなく、動いているものでもとにかく描く、というお話だったと思います。絵を描くには記憶力も大事なんですね。
弔辞について各社、記事や動画をアップされていて、どのお話も貴重なお話なので、ぜひ全文見るか動画見てください。
おわりに
お洒落なイタリアンレストランあったのですが、帰りは閉まっていたので一風堂で晩御飯。ニンニク3粒追加。
楳図かずお先生、素晴らしい作品をありがとうございました。読んだ作品も、まだ見ぬ作品もこれから楽しみたいと思います。
Tシャツ作りに行く時、行ったことないのでまことちゃんハウス見に行ってみます。
→Tシャツ作ってまことちゃんハウスも行きました!後日別途記事アップします〜。アップしました!
楳図かずお美術館、楽しみに待ってます!
サバラ!
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