The Beatles 映像の世紀 バタフライエフェクト ビートルズとロックの革命 感想ネタバレです。
12/30放送のビートルズの映像の世紀を見ました。
2日に改めて配信で見直したので、記事の日付は2日にしてあります。
(1/14現在)
なかなか書けずにだいぶ遅くなってしまいました。
初めてこの番組を見ましたが、過去に放送された分の拡大版だそうです。
暫く見逃し配信していましたが、もう終わっていてうろ覚えになります。
メンバーなどの言葉は何となくニュアンスで読んでください。
また、内容はかいつまんでになり、時系列順不同になります。
ビートルズはイギリスのバンドです。
ビートルズのメンバー
ジョン・レノン
ポール・マッカートニー
ジョージ・ハリスン
リンゴ・スター
(ジョンのバンドへのメンバー加入順)
存命なのはポールとリンゴだけです。
ジョンは凶弾に倒れ、ジョージは病でこの世を去りました。
ジョンが亡くなったのは1980年、ジョージは2001年でした。
活動期間は1960年〜1970年ですが、番組では7年7ヶ月と言っていました。
最後の大規模ライブまでを活動期間としたのかもしれません。
内容
ビートルズの子供の頃からの歴史です。
ポールは労働者階級の出身でした。
14歳で母を亡くしたポールは、作詞したり、歌うことに熱中するようになりました。
歌はポールにとって救いでした。
ライブハウスで歌っていたポールに衝撃を受けたジョンはポールを自身のバンドに誘いました。
ジョンにとってポールをバンドに誘うことは賭けでした。天才を引き入れてバンドが破壊されるのか、向上していくのか。
ジョンは「ポールを引き入れて正解だった、歌が上手い上に、ポールの顔がエルビスに似ていた」と言っています。
その後、ジョージが加入し、最後にリンゴがメンバーになり、The Beatlesが誕生しました。
メンバーは全員、労働者階級の出身でした。
敏腕マネージャーのブライアン・エプスタインに見出され、ビートルズは瞬く間に人気になっていきました。
タバコで煙たい地下のライブハウスで歌っていたビートルズにブライアンは衝撃を受けました。
ブライアンはビートルズにタバコを吸いながら歌うことをやめさせ、スーツを着せ、歌の最後にお辞儀をさせました。それにより、幅広い層から人気を得ることができました。
ポールは黒人歌手のリトル・リチャードが「Long Tall Sally」を歌うのをテレビで見た際に強い衝撃を受け、こんな歌を歌う人がいるのかと思いました。
後にリチャードは「ポールのやっていることは全て俺が教えたんだ」と言っており、それに対してポールは「全くその通りだよ」と言っています。
そんなこともあり、黒人差別が酷かった60年代の最中で、ビートルズは黒人差別に異を唱えました。
ライブで黒人専用席が設けられる予定でしたが、ビートルズは拒否し、区別がない中でライブが決行されました。ポールは「黒人を動物のように扱うなんておかしい」と言いました。世間からは狂っていると非難されました。
ビートルズは黒人問題だけでなく、世界中に多大な影響を与えました。その力は、政治にも及びました。
彼らに影響を受けたミュージシャンは数知れず。
レディ・ガガ、スティング、デヴィッド・ボウイ、ブルース・スプリングスティーンなど。
スティングは中学生の頃、水泳のプールの更衣室で、友人とお互いの下半身をタオルで叩いてふざけていました。しかしラジオからビートルズの「Love Me Do」が流れてきた途端に、バカ騒ぎをやめました。
スティングにとって革命的な体験でした。
ビートルズと同じ労働者階級のモデルであるツイッギーは、ミニスカートを流行らせました。
それにはビートルズの影響があり、「ビートルズが階級の壁を壊した」と言っています。
レディ・ガガも、「ビートルズがいなければ、女性が廊下でカーディガンを脱ぐことはなかったと思う」と言っています。
ビートルズがデビューするまでは、ミュージシャンたちは与えられた歌を歌うのが当たり前でした。
しかし、作詞作曲までするビートルズに影響をうけ、他のミュージシャンたちも自分たちで作り始めました。
バンドのレッド・ツェッペリンは、「ビートルズが出てくる前と後では状況が全く変わっていた。作曲なんて夢にも思わなかった奴らが、「俺もいっちょやってみるか」と思うようになったんだ」と語っています。
ビートルズの長い髪を真似する若者たち。デヴィッド・ボウイも真似しました。大人たちはいい顔をしませんでした。女みたいに髪を伸ばしていると。床屋は髪を切りにこないから、商売あがったりだと言います。
当時17歳のボウイは「俺たちを「女みたいだ」と言って揶揄うのはそろそろやめてくれないか」と言いました。
日本でもビートルズは大人気で、偽物のビートルズが来日しても、喜んでたこ踊りをして踊り狂いました。
偽物のビートルズはいくつか存在しました。
1968年にはチェコのシンガー、マルタ・クビジョヴァーがソ連軍によるチェコ侵略に反抗し、ビートルズの曲「Hey Jude」をチェコ語で国民への応援歌として歌詞を変えてカバーしました。
それにより、音楽界を永久追放されました。
しかしその20年後の1989年、ベルリンの壁が崩壊し、大規模な反政府デモが行われ、民主化が実現しました。そして学生たちに頼まれてマルタは20年ぶりにHey Judeを大勢の民衆と共に歌うことができました。
元々この歌は、ポールがジョンの息子、ジュリアンのために作った歌でした。新しい母、オノ・ヨーコを受け入れなさいという歌です。ジュリアンはジョンよりもポールに懐いていました。
1963年に開催された、エリザベス女王など英国王室が臨席するロイヤル・バラエティ・パフォーマンス(イギリスの慈善団体ロイヤル・バラエティ・チャリティーが開催するチャリティショー)で、ジョンはラストソングの前に、「安い席の人は拍手を、それ以外の人は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と言いました。
(調べてみると、ジョンはもっと過激な言い方にするつもりだったがマネージャーに説得されマイルドな表現にした。明確な嫌味のつもりで言ったけれど、言った後にイタズラっぽく笑顔を見せたので、ジョークと捉えられたとのこと。)
人気絶頂のビートルズでしたが、1966年にジョンが「ビートルズはキリストより人気がある」と発言したことにより、レコードの不買運動にまで発展してしまい、ジョンは釈明に追われました。ジョンは「子供たちにはキリストより人気があるということ、反キリストとか、反宗教の意味はない。まして自分は神様だという意味はない」と言いました。
1967年、ビートルズはドラッグLSDを使用したとして、メディアに報道されました。
発表した曲の「Lucy In The Sky With Diamonds」の頭文字はLSDではないかと指摘された。ビートルズはドラッグ使用を否定したが、使用していました。
当時のミュージシャンの多くがドラッグを使用していました。
ポールはテレビで入手経路を聞かれると「言いたくない。違法だから」と言いました。
また、「ビートルズがドラッグを使用していたということは、ファンに影響を与えるのではないか」とインタビュアーに言われると、「こうやってテレビで放送することが影響を与えるんじゃないか」と言いました。
メンバーは疲れきっていました。歌えば歌うほど歌が下手になると。ライブはすごい歓声で音が聞こえなく、他のメンバーの様子を見て何となくで歌いました。
同年、マネージャーのブライアンがオーバードーズで亡くなりました。ブライアンが亡くなったことにより、ジョンはもうビートルズは終わりだと思いました。
さらに同年、ポールが企画し、自分たちで映画「マジカル・ミステリー・ツアー」を製作しますが、評価は散々でした。
1968年、ビートルズは休養を取って、インドへ渡りました。ドラッグに代わるインスピレーションの源を求めて。
このことは、各界に影響を与えました。美術家の横尾忠則、実業家のスティーブ・ジョブズなどをインドに向かわせました。
ジョブズはiPodを発表する際にビートルズの好きな曲をかけました。ライバルであるビル・ゲイツとも、大のビートルズファンとして意気投合しました。
多大な影響を世界に与えたビートルズ。
しかしジョンは1975年に、「僕が気に入らなかったのは、僕たちが何かをリードしているという主張だった。60年代は“新しい時代を発見しに行く船”だった。そしてビートルズはその船の見張り台に立っていただけだ。僕たちは「Land ho!おーい陸地だぞ!」と叫んだ。それだけだ」とインタビューに答えました。
2023年、ポールはジョンが制作し、残したデモの「Now And Then」を、ジョンの声をAIで再現し、ビートルズ最後の新曲として発表しました。
ビートルズは世界で最も売れたアーティストであり、この記録は未だ誰にも破られていません。
感想
ビートルズは数年前にハマっていて、2016年の映画も観に行きました。2017年には、ポールのライブも行きました。公式LINEも友達追加していて、LINEスタンプも購入してます。
ですが、知らないことだらけでした。また、2023年11月に新曲が発表されていたとは知らず、ショックでした。公式LINEに来てたかな〜?と見てみましたら、6月に来年、ポールの写真展が開催するよ〜とだけ来てました。あくまでポールの情報だけで、ビートルズの新曲だからということかもと思いました。写真展、楽しみです。
Now And Then、初めて聞いた瞬間から、大好きな曲になりました。ビートルズ名義で一番好きな曲は前にも記事に書きましたが、「Any Time At All」なのですが、それと並ぶくらい好きになりました。
テンション上げたい時はAny〜、泣きたい時はNow〜だと思いました。
Now And Thenを聴くと無性に泣けてきます。ジョンのことや、ポールの気持ちを考えて。元旦の震災で、様々な悲惨なニュースを見ていたら鬱のような気持ちになってしまい、この番組に救われました。
その後、カフェでこの曲が流れて思わず泣きそうになりました。他にもビートルズ自身が歌った曲や、カバー曲が至る所で流れていました。番組の影響かなと思いました。
AIで故人を再現することに、私は抵抗があったのですが、曲がとても素晴らしいこと、MVの自然さ、そしてポールの気持ちを考えると、前向きな見方になりました。
実際の動画はこちら。自然ですよね。
ジョンは宝石ジャラジャラだとか、キリスト発言だとか、過激でユーモアのある人でした。そして天才でした。最後のこの曲の意味は日本語で「時々」。このタイトルがまた哀愁があり、切なくなります。
お蔵入りにせず、最後まで制作してくれたポールを始めとした関係者の方々に深く感謝します。放送してくれたNHKにも感謝です。願わくばまた見れるようにオンデマンドに配信して欲しいです。
今や二人となってしまったビートルズ。ジョージが亡くなる際に病床で、リンゴかポールの奥さんが病で帰らなければならないとなった際に、「大丈夫?一緒について行こうか?」と言ったというエピソードが感動しました。
ポールは「この時に初めてジョージの手を握ったんだ」と語っています。
あまりにも世界に影響を与えたビートルズに驚き、それを自分たちがリードしたわけではないと言ったジョンにも驚きました。
売れるためなら、スーツだって〇〇(忘れました)だって着てやる!と言っていた、ロックンローラーでアイドルだった彼らがここまでの存在になるとは。マネージャーのブライアンの手腕にも唸ります。
初期のビートルズは本当にアイドルで、バラエティ番組にも出ていたり、今のアイドルと変わらないことをやっていました。ボクサーと戯れたり、壁を破って登場したり。昔からテレビはこんなことしていたんだな〜と感心しました。
ドラッグに代わるインスピレーションの源を求めてとナレーションが言ったのには笑いそうになりました(笑)
LSDは最近では、Xを経営しているイーロン・マスクが使用したとしてニュースになりましたね。海外ではとても簡単に手に入るものなのでしょう。ジョンは依存症だったそうです。
Lucy In The Sky With Diamondsの制作の頃、一人だけドラッグをやらないポールは、3人から責められていたそうです。その後、彼もメンバー以外の人とドラッグに手を染めました。
マネージャーのブライアンはオーバードーズ(薬物過多)で32歳という若さでこの世を去っているので、健康上を考えても、やはりよろしくないですね。インド行き正解です。
インド、前は興味がなかったのですが、RRRや映像の世紀を見たことで、行きたくなってきました。
確かにインドにしかない世界がありますよね。どの国もそうですが、神秘的で浮世離れした雰囲気をインドからは感じます。
おわりに
やっと書き終われてよかったです。多くの人に見てほしい映像でした。
まだまだ知らないことがたくさんあり、歴史の重みを感じました。
ポールに会えて本当によかった。写真展、必ず見に行きます⭐︎
追記
テレ東BSのファッション通信で、ポールの写真展と新曲の映像が流れました。BS見れないのですが、アプリで無料配信してくれたので見れました。
ポールが自ら撮った写真ということ、当時はフィルムカメラが珍しかったこと、ジョンは近眼で、プライベート用の眼鏡をかけており、女性が来ると眼鏡を取っていたなど話してました。
ジョンはシャイだったからとポールは話していました。可愛いです。
2016年の映画の記事
2017年のポールのライブ参戦記事
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