あの人に会いたい 手塚治虫 アンコール放送を見ました。
たった10分程度の映像ですが内容は濃かったです。
手塚先生の漫画は戦争批判や生命への執着が強く描かれていることから、苦手だとか嫌いという人もいます。
手塚先生がなぜそういった作風になるのかを自ら語っていました。
それはやはり戦争経験をしているということがあります。
「戦争が終わり、電灯がつき、苦労がなくなった時の感動が何とも言えなくて、
『あぁ、生き残ったわい』という感慨が今でも思い出される。
そういった意味でぼくの漫画はただひたすらそれを追いかけてきたと言ってもおかしくないくらい、
生きるということに執着を持った漫画が多いんです。」
どろろの絵も出てました。どろろも生命や生きるというテーマを扱っていますね。
人間がしぬのは何のせいなのかと幼稚な追求をしたこともある。
それがつい戦争批判などに繋がってしまう。そう語っていました。
幼稚な追求。
幼稚とも言えるかもしれないと思いましたが、手塚先生の考える疑問は私が考えるものとは遥か遠く、深く掘り下げられた考えなのだと思います。
漫画の一番の主体は
風刺と告発の精神である
と手塚先生は言っています。
それがない漫画はどんなに美しくても単なる絵に過ぎず、長続きしないと。
これに関しては、同意する気持ちとそうとも言えないだろうという気持ちを持ちました。
私が気付いていないだけかもしれませんが、風刺や告発がなくとも長続きしている漫画はあります。
ただ一方で、そういった要素が含まれた漫画というのは強く心に残りますし、名作として語り継がれます。
知識がなければ描けない要素でもあると思います。
手塚の漫画は荒唐無稽であると批判されたことについて。
批判されていたものの、手塚先生の描いたストーリーが実現すると言われなくなります。
大人は勝手であり、荒唐無稽の漫画を描くのは肩身が狭いと言っています。
これは手塚先生の時代ならではだと思いました。
今では漫画は荒唐無稽であることは当たり前として捉えられています。
また、ぼくの漫画はとにかくやり玉に上がり、吊るし上げられると話していました。
今でもですね。
亡くなってからもなお、手塚治虫の漫画というだけで噛み付く人もいます。
手塚先生はそういった批判がエネルギーになったのかもしれないと言っています。
強いですね。
へこたれて描くのをやめてしまう人はたくさんいます。
手塚先生が鋼のメンタルを持っていて良かったです。
ここからが目から鱗の展開です。
手塚先生は今は漫画を批判する側が弱くなっている、漫画を読んで育った大人が増え、漫画擁護論になっていると語っています。
漫画はハングリーアートと呼ばれていて、叩かれても自分はこういったものが描きたいんだという負けじ魂でいい作品が生まれるとのこと。
今の漫画家にはそういったものがなく、パターンにはまったものを描いていれば生活が成り立つ世界になってしまった。
その原因が漫画に対する批判の欠如であると。
大人や親には漫画に対し、強烈で正当な批判を下して欲しいと。
漫画家生活33年と言っていたので、この映像は1979年頃だと思います。
この時代にこれが言えるとは。
ですがハードルが高いと思いました。
強烈で正当な批判。よほど漫画や文学に精通した人でないと難しいような。
手塚先生の言いたいことも理解できますが、パターンにはまった漫画というのも世の中に必要だと思っています。
しかし批判されて伸びる人も確かにいるので一理あります。
小学生の頃に友人に貸してもらった昆虫図鑑の美しさに魅せられ、細かな絵を描き、先生からは作文の指導をされ、それが作品に活きた手塚先生。
放送日の2月9日は命日でした。享年60歳。
没後30年経ってもなお、批判や議論の対象になっている手塚先生は偉大であり、手塚先生にとっては本望なのかもしれません。
アンコール放送ありがとうございました。
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