一生に一度は、映画館でジブリを。 公開初日 1997年公開『もののけ姫』感想ネタバレ 宮崎駿監督の最新作です。
一生に一度は、映画館でジブリを。というキャンペーンで6月26日から7月2日までジブリの以下の4作品が上映されています。
風の谷のナウシカ
もののけ姫
千と千尋の神隠し
ゲド戦記
今回見たのは
もののけ姫
1997年7月12日 公開
です。
一生に一度は、映画館でジブリを。というタイトルがついていますが、もののけ姫以降、殆どのジブリ作品は映画館で見ました。
映画館に行かなかったのはゲド戦記くらいです。
初めてスクリーンで見たジブリ映画がもののけ姫でした。公開当時、劇場で家族と見ました。
記憶がもう朧げなのですが、最初の始まりの山のシーンがとても印象的だったのを覚えています。
ハウルの動く城、千と千尋、ゲド戦記もですが、当時のCMも覚えてます。
もののけ姫のCMはエボシが「よく見届けよ。神殺しが如何なるものか」と言っているシーンを覚えてます。
あと宮崎駿監督がグワーっと体を捻って戦うシーンを表しているところを何かで見て印象に残ってます。
家にビデオがあります。当時はまだビデオの時代だったんです。
ストーリー
言わずもがなですがざっと簡単にあらすじを書きます。
主人公 アシタカの村に猪のタタリ神が出ました。
人間の銃によって撃たれ、怨みからタタリ神になってしまいました。
タタリ神は全身をミミズのようなものに覆われ、我を失っています。
タタリ神は手を出すと祟られてしまいますが、村の乙女たちを守るため、アシタカは矢を放ちました。
そして、右腕に呪いを受けてしまいます。
村の長に呪いはやがて死をもたらす、西へ旅立ち、シシ神に会えばもしかしたら呪いが解ける可能性もあるかもしれないと言われ、旅立ちました。
旅の先でタタラ場という村に住んでいる村人たちと出会い、交流します。
そこの長であるエボシがイノシシに銃を放った犯人でした。
さらにエボシは森を切り開き、銃を作り、国落としをしようとしていました。
それに怒ったアシタカは森と共存するよう呼び掛けますが、エボシは聞く耳を持ちません。
エボシを森に住む者たち皆が嫌っていて、命を狙っています。
その中に、モロの一族という山犬の一族がいて、1人の人間の少女、サンが共に生きていました。
アシタカはサンにも共存を呼び掛けますが、サンも人間が嫌いです。
人間たちが欲に駆られ、不死の力を持つと思われたシシ神の首を刎ねました。
シシ神は暴走し、森が死んでいき、村は破壊されました。
アシタカとサンが首をシシ神に返した時、ちょうど朝日が昇り、夜の姿であるディダラボッチでいたシシ神は倒れて消えてしまいました。
その代わりに森は蘇りました。
サンは人間は嫌いだけれど、アシタカは好きだと言い、アシタカはそれでもいい、自分はタタラ場で生き、会いに行くと言いました。
モロに右腕を喰われ、山犬に命を助けられたエボシは、一からやり直そう、ここをいい村にしようと生き残った村の者たちに言いました。
消えていた森のこだまが鳴りました。
感想
これまで雰囲気で見ていて、しっかり台詞を聞いていなかったのですが、今回一人一人の台詞をよく聞いて噛み砕くと胸に来るものがありました。
ストーリーは知っていましたし、印象的な台詞も覚えているくらいでしたが、意味を深く考えると、ワンシーン、ワンシーンで感動して涙が溢れました。
最初から面白くて、こんなに高揚するアニメ映画もそうないと思います。
ジブリの中でも特に好きなのがもののけ姫と、ハウルの動く城、千と千尋なのですが、それぞれよくツボを押さえていますね。
最初のシーンでアシタカが弓を引くところからかっこよく、転んだカヤを助けるために剣を抜いた眉目秀麗の女の子がまたかっこいいです。
その後、村を出るためにアシタカが髪を切ったところで、村の男が悲しそうに目に手を当てるところでこちらまで悲しくなってきました。
村の男たちはアシタカ以外はみんな中年以上で、若い人がいません。
村の長となる筈だったアシタカがいなくなれば、村の存続は厳しいかもしれません。
ジコ坊がおじやを食べるときに雅な椀だなと言ってそこからアシタカの故郷を思わせる台詞を言うのですがそれがまたグッと来ました。
カヤはアシタカのことを兄様(あにさま)と言っていますが、初めて見た時から兄妹ではないなと思っていたのですが、今日分からなくなって調べてみたところ許嫁だそうです。
玉(黒曜石)の小刀は変わらない心の象徴としてアシタカに渡していますが、アシタカはそれをサンにあげてしまってます。
これはずっと何であげたんだと引っかかっていたのですが、今日はそれだけ大事なものをあげるほどサンが大事ということなんだと思えました。
ジブリに出てくる女性って逞しくて好きです。
特にもののけ姫に出てくるタタラ場では、女たちが強く、スカッとします。
下界みたいに男たちが威張ってないし、という台詞がありますが、女性が公に売りに出されている時代(室町時代)背景を思うとより切実な思いに思えます。
アシタカの「良い村は女が元気だと聞いています」という台詞が好きです。
タタラ場で働く女性たちののリーダー的存在のトキが、村が損壊してしまった時に、夫の甲六はもう終わりだと嘆きますが、
彼女は村人を背負いながら「生きてりゃなんとかなる」と力強く言いました。強いです。
あんなに美人で聡明、行動力のあるトキがなぜ冴えない甲六と結婚したのかが不思議で仕方ないです。
マスクを取ったアシタカを見てトキが「あら、やっぱりいい男じゃないの」とうっとりする顔が可愛くて好きです。
あれもこれも好きなシーンだらけなんですが、今回中でも好きだなと思ったのがジコ坊とアシタカが戦うシーンです。
バシッ!バシッ!と音を立てて戦うところがかっこいい。これまでジコ坊はうざったいおじさんだと思っていたのですが、今日は妙にかっこよく見えました(笑)
その他好きなシーン
何度見ても好きだなというシーンと、初めて感動したシーンを集めました。
・皮膚病患者が治った
・患者がエボシ様を殺さないでくれと訴え、涙を滲ませる
このシーンは今までよく理解していなかったのですが、こんな姿で寝たきりの状態になってもそれでも生きたい、
そんな自分を助けてくれたエボシを許してくれと訴え涙が顔に巻かれた包帯に滲むんですね。
エボシは非情なようでいて村人たちにとっては女神のような存在である。
動物たちから見たエボシと、身近な人々から見たエボシの違いに考えさせられます。
・モロとアシタカの対話
サンは拾われたのかと思っていましたが、はっきりモロが発言してました。
モロから逃げる為に、赤ん坊だったサンを人間が投げ渡したのでした。
これは酷いですね。赤子を囮にするとは。
それを育てたモロの優しさに感心します。
その不幸を嘆き、アシタカにサンを救えるのかと問いかけ、人間として共に生きられると訴えるアシタカにお前にできることは何もないと言いますが、後でサンにあの人間と生きる道もあるんだよと言ったのが泣けます。
・サンが乙事主(おっことぬし)のタタリ神に飲み込まれたのを助けようとしたアシタカが弾かれ、湖に落ちて気を失ったときモロの「お前にサンが救えるか」の声がアシタカの中に響き、意識を取り戻す
・ヤックルが筏に乗っている
・あいつ食べて良い?とモロの子がヤックルを見てハッハッとする
犬!て感じですごく可愛いです。
・乙事主が猪たちを「みな小さく馬鹿になっている」と言う
それでもかなり大きいのですが、乙事主はバカでかいですからね。
あとは人間の食用になるだけという語りでなんだか切なくなりました。
・乙事主が隠れている敵に気づく
ラストは今見るとあっさりした終わり方に感じました。
それが彼らの先を想像したくなる終わり方で良いのだと思います。
余韻に浸っているのか、終わってから暫く観客が座ったままでした。
帰りに写真を撮ったのですが何故か外のイラストがゲド戦記で、もののけ姫がありませんでした。
風の谷のナウシカ撮っておきました。
おわりに
最後に流れる米良美一(めらよしがず)さんが歌うもののけ姫は名作です。
当時は学校の授業でも歌われたりしてました。
歌が始まる前のイントロが好きです。
23年ぶりに映画館でもののけ姫を観ることができ、感無量でした。
これまで見てきたよりも、強く、宮崎駿監督の生きろというメッセージと、自然を守るべきだという思いを感じました。
生きるというテーマは宮崎駿監督の中で強くあるのかなと思いました。
最後の長編作品である『風立ちぬ』でも生きねばというキャッチフレーズがついています。
この作品ももう7年前になりました。
監督の引退宣言がされましたが、今年、新作の『君たちはどう生きるか』が公開される予定だと言われています。
しかし具体的な公開日程は決まっていません。
ここでも生きるというワードが出ていますね。
生きることといえば、エボシは森や国を侵略することによって力を得ていてそれをアシタカは批判していましたが、
それをしていないアシタカの村は絶滅寸前になっていたのを思うと、生きる為に正しい事とはどちらなのかと考えました。
他の3作品も映画館で見たいです。上映期間の終了日は不明です。
最後に、宮崎駿監督は豚が好きなのかなと思いました。
千と千尋にも出ていますし、紅の豚は豚ですし。豚可愛いですよね。
見たことのある人もない人も、ぜひ、もののけ姫は映画館で見て欲しいです。
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