徹子の部屋『オダギリジョー』感想です。
自動録画を見直してたら徹子の部屋にオダギリジョーが出てて驚きました。
内容
17年ぶりの出演だそうです。出た事があったことにまた驚きです。当時は26歳でした。
さらに驚いたのが、オダギリジョーが母の手作りの服を着てきたことです。
お洒落なコートに和風の柄をアップリケしたような服を着てました。
手作りの和風バッグも持ってきていて、徹子さんにプレゼントしてました。
海外のスタッフによくプレゼントするそうです。
黒柳さんから昔もらった手紙を持ってきてました。
文字がびっしり書いてありました。
海外のことと新島襄(にいじまじょう)さんについて書いてました。
大河ドラマ『八重の桜』に出ていた人物です。
26歳の頃の映像が出てきました。
デビューして2年の時でした。当時はオダジョーの部屋というホームページを持ってたそうです。
徹子さんに初恋の話を聞いて親でも兄弟でもない方に話すこともないと断られてました(笑)
当時のことを現場ちょっとぴりつきましたねとオダジョーが言って笑いが起きてました。
お二人とも若かったです。でも現在のオダギリジョーは43歳に見えないほど若いです。
オダジョーは徹子さんは他に呼んでほしいニックネームはありますかと聞いて、ないと最初は言ってましたが、トットちゃんに落ち着きました。
オダギリジョーの両親が離婚したという話。
父親の顔は見たことないと言ってました。
子供の頃は映画館で一人でいて、ドラえもんなどアニメの時は喜んで見ていたけれど、ハリウッドの恋愛ものなど分からないものの時は映画館を走り回ったりしてたそうです。
やがて映画監督になりたいという夢が芽生えます。
監督した映画『ある船頭の話』が出て、ベネチア国際映画祭の映像が出てきました。
海外の人はシビアなので気に入らないとすぐ帰ってしまうが、たくさん残ってくれて嬉しかったと言ってました。
現地で批評家の方に「この映画祭で20本くらいみたが、一番知的で画(え)が洗練されていた」と言われたことも嬉しかったそうです。
岡山県の国立大学に受かり、入学金を持って門の前まで行ったがアメリカ留学に使わせてくれと母に言って、周りの親戚が反対する中、母親だけがやりたいことをやりなさいと応援してくれたそうです。
中途半端な英語力で渡米したため、シェイクスピアを読んで感想文を出したりなど大変だったそうです。
監督コースに入りたかったのを俳優コースに入ってしまったというのは有名な話ですね。
本当はジャーナリズムというコースだったのをドラマコースを選んでしまったそうです。
美術で英語がわからないため、全く違うものを作ってしまったのですが、逆に個性的だと褒められ、アートは自由で良いんだと思ったと話してました。
樹木希林さんとの話。
東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン~のパッケージ出てました。
樹木さんからは演技について色々教えて貰えたそうです。
東京タワーの撮影の時は希林さんと監督がオカン像で衝突して希林さんが何度も現場を立ち去ったりして、その度にオダジョーが間に入り、あの時は白髪が一気に増え、半分くらい白髪になったと言ってました。
今は染めてるそうです。知らなかった!
明日から放送の新ドラマ 時効警察の話。
暑い中、冬服の衣裳を着なければならず、大変だったそうです。現場にかき氷の屋台が来てました。
感想
白髪エピソードでやっぱりオダギリジョーは繊細なんだなと思いました。
でも私も同じ立場になったら白髪になると思います(笑)
お母様の手作り衣裳がお洒落で、バッグも可愛くて欲しくなりました。
他にも鳥獣人物戯画の兎のハンコも作ってました。
失礼な話ですが、映画館に放っておかれてておばあちゃん子だったと聞いていたので、何となくのイメージで冷たいお母様だと思ってたのですが優しい良いお母様だったんだと分かりました。
女手一つで育てるとなると鍵っ子ならぬ映画っ子になるのは仕方なかったのだろうと今は思います。
アメリカでの話や最近の話も聞けて楽しかったです。
毎回オダジョーの記事では言ってるような気がしますがオダギリジョーさん、どうか御自愛ください。
明日も元気でありますように。
コメントを書く